冷戦後のアジアの動き 2
むろん浦東地区開発は以上の構想に尽きるものではありませんでした。
朱市長(当時)は90年8月、『経済工作通訊』誌上で浦東開発を中核に置いた上海の根本的な産業構造の転換を計画中であるとし、大略次のような説明を行っています。
「第一に、従来、上海の企業は国内資源に依存してもっぱら国内市場を相手としてきたが、今後は国内と国外の双方に重点を置き、より多くの国外資源を利用して国際市場を相手とする方向に転換を行う。
第ニに、従来、労働集約的、資源集約的な粗放型の発展方向をとってきたのに対し、今後は資本集約的、知識・技術集約的な精密型の発展方向に転換する。
第三に、従来、繊維工業を中心に軽工業品を主体とした産業発展政策をとってきたのに対し、今後は自家用車、マイクロ・コンピュータ、電気機器などの部門を一体化させた重点傾斜生産の産業政策を採用する。
第四に、これに伴って上海に原料部門、素材生産部門、基礎部品生産部門、完成品生産部門の一貫系列の生産ラインを形成して、輸入代替型に向けた産業構造の転換を図る」。
・・・ここには、従来、特区経済や華南・華中の沿海経済などが採用してきた労働集約的な輸出加工工業の展開を軸とした輸出主導型と呼ばれる戦略が、放棄されているのが読み取れるでしょう。
代わって新たに登場しているのが、資本集約的で知識集約的なハイテク産業を頂点とした輸入代替型と呼ばれる戦略です。